神をも退かす徳川家康 そこまで日光に拘る理由とは?! H22.10.5~6
時代劇やフィクションの世界をいつしか本当の事と認識している私たちの歴史に‘メス’を入れてくださるのは歴史ライターの小林祐一さん。2005年から「東京散歩」と題して歩き始め、塗り替えられた歴史はあまたありますが、50回という記念の回を迎えたこの10月は江戸と深い関係のある「日光」を訪れて来ました。
東照宮を始め、二荒山神社・輪王寺は皆さまも1度は足を運ばれたことがある所。では、こんな真実が隠されていたことをご存知でしたか?
<謎ときその①>‘久能山’と‘日光’そして‘江戸’との関係は?
病に倒れた家康が「遺体を駿河国の久能山に葬り、一周忌が過ぎてから下野国の日光に小堂を建てて歓請せよ」と遺言に遺しました。
ステップその①「久能山と江戸の関係」とは?
家康の母・お大の方が子授け祈願で訪れた‘鳳来寺山’と家康自信が生まれた‘岡崎城’、そして家康が天下を
取った‘江戸’は東西のラインで一直線に繋がった場所にありました。そこで一番最初に葬られる場所を、その
ライン上に位置する場所を選び、結果‘久能山’になりました。
ステップその②「では、日光との関係は?」
久能山東照宮の楼門から本殿・奥の院にあたる神廟を結ぶ線を延長すると「富士山」を経て日光に至ります。
ここで登場する「富士山」は日本のシンボルであり、山岳信仰の中心地。「富士」はすなわち‘不死’の山と捉え
られ、ここを越えていくことは‘不死の存在’と考えられました。
一方、日光東照宮では、奥社から参道・石鳥居を結ぶ線を延長すると、江戸城にあたります。逆に江戸から
日光の方角はほぼ真北。北極星に繋がっているとされています。この北極星に向かう道は密教の世界では
‘北辰の道’と呼ばれ、宇宙の中心となる‘天帝の道’とされています。
結論;「久能山に葬って一周忌の後日光へ遷座する」ということは、
久能山に葬られた家康が富士(不死)の道を通って永遠の存在(神)となって日光に鎮座し、そこから北辰の道、
すなわち神の道を通じて江戸を見守り続ける、という意味があったのです。
<謎ときその②>「見ざる、言わざる、聞かざる」で有名な日光の三猿。実際のところ猿は何匹?答えはコチラ→→
①母猿が小猿の将来に思いをはせ、 ②子どもの時は悪い事を「見ざる、言わざる、聞かざる」 ③やがて独り立ち。
④青雲の志を抱いて天を仰ぎ、⑤人生崖っぷちでも励ましてくれる仲間がいる、⑥恋に悩み物思いにもふけ
⑦結婚した2匹の猿。力を合わせて人生の荒波を乗り越え、⑧妊娠した猿。やがて子が産まれ母となり、最初の彫刻に
戻るような仕組みになっています。 これは彫刻で出来た絵巻なのです。
<謎ときその③>「東照宮の彫刻で実在するのは何の花?」 答えはコチラ→→
バラです。
東照宮のバラは庚申薔薇。 四季とも花をつけるので四季咲薔薇・月季花などとも呼ばれますが、江戸時代には
長春花【ちょうしゅんか】が、一般的名称です。この花の彫刻が東照宮で多用された理由は、「長春」というその
名前によると考えられます。長い春、のどかで暖かい季節、戦争のない平和な時代がずーっと続きますように、
という意味がこめられています。。
最後にお勧めスポットを2箇所ご紹介します。ここは世界遺産に登録されているにも関わらず、ほとんど人が訪れない隠れスポットです。ぜひ、お出かけ下さい。
↑滝尾神社 ↑滝尾神社から開山堂までの石畳 ↑開山堂
☆おまけ~お勧めのお土産~☆
日光といえば・・・「湯葉」「ろばた漬け」「塩羊羹」と色々ありますが、こちらは小林祐一先生お勧めの‘明治の館のチーズケーキ’。レモン風味と共に口いっぱいに広がるクリームチーズ。甘さ控えめでコーヒーや紅茶にもぴったり☆ 皆さまにおすそ分け出来ないのが残念です。。(*´Д`)
この明治の館は、明治時代に初めて蓄音機をもたらした、アメリカ人F・W・ホーンの元別荘を利用したレストラン。建物は日光石を使った洋風建築。杉木立に囲まれた庭園を背景に食事も楽しめます。観光客で賑わう日光とは思えないほど静かで、落ち着いた時間が流れます。
